<七十九の葉>
楽器の話(十四)

 「CHILD」…。新バンドの名は16歳のぼくが考えぬいて提案したのだが、他のメンバーもすぐに賛同しあっけなく決まった。今更云々言いたくはないがセンスとしては微妙だと言わざるを得ない。チャイルドの直接の意味は“子供”“子孫”“産物”だが、そこに夢と希望を託すほどの大きな意味が込められていたわけではない。しかし名は体を表すという。ぼくは新たなバンドの誕生にふさわしい壮大な名を付けたかった。

 当初はバンドの基本的なコンセプトである「THE BEATLES」にあやかった名前、あるいは連想させるような名前をと考えていたのだが、ついに納得できる言葉には巡り合うことができなかった。ビートルズはカブト虫を表す“BEETLE”(ビートル)と“BEAT”(ビート)をもじって命名されたというのは有名な話だが、彼らが参考にしたのは先輩バンド「THE CRICKETS」(こおろぎ)だった。「THE BEATLES」が出現してから10数年で、虫や動物の名前は出尽くされた観があった。「THE MONKIES」しかり「THE BIRDS」しかり「THE SCORPIONS」しかり…。日本でも「ザ・タイガース」「ザ・スパイダース」を筆頭に生物の名の付いたバンドがそれこそ雨後の竹の子のように誕生し一時代を築いた。だが、“グループサウンズ”と呼ばれた彼らの勢いは70年代後半になると急速に衰え、バンドは次々と解散してしまった。そのせいもあってか当時は「THE ○○○S」という“形”あるいは“スタイル”そのものが時代遅れと感じられたのも事実だ。しかし、この「THE ○○○S」という形は生き続け、完全なスタンダードとなった。そこからはバンドの結束の強さや場合によってはユーモアさえも伝わってくるからおもしろい。バンドの象徴とも言える名。“普遍的”でありながら一語で深い意味を伝えられる言葉…今でも、そんな言葉をこれから世に出ようとする世界中のバンドが探している。

 「バンド名だけどさ、チャイルドってどうかなあ…」テツロウに話すとしばらく考えた後で「…おもしろいじゃん」「いいんじゃない」といつになく前向きな返事が返ってきた。その反応は少々意外だったが何となくうれしかった。リッカとキンジも賛同しバンドの名は「CHILD」に決定した。この名を思いついた瞬間のことは今でもよく覚えている。学校帰り、横芝駅から家に帰る道すがらだった。栗山川を渡り15メートルほど歩くとすぐ右に折れる道があった。人がふたり通れるかぐらいの細い道だ。緩やかに下っていた。道の両側には民家が数軒ありその先にはたんぼが広がっている。『いい言葉ないかなあ…』とぶつぶつ考えながら歩いている時だった。「!」閃いた。「これだ!」大袈裟だがそのときぼくは大変な発見をしたような気分だった。その日か前日に雨が降ったのだろう。目の前には大きな水溜りがあった。

 この道を何度歩いたことだろう。横芝駅への近道であるだけでなく子供の頃は遊び場でもあった。たんぼでおたまじゃくしをすくい、あぜ道では凧揚げをした。家から向かうとたんぼにたどり着く前に小さな林を抜ける。子供にとっては小さな林も森も同じようなものだ。カブト虫を捕ったり蝶を追ったり、また蛇を見つけて大騒ぎしたりした。そして、何よりこの林の木漏れ日は見事だった。ぼくはこの林から田を抜け県道に達する細い道が好きだった。この道の一部は栗山川の拡張工事のために数軒の家もろとも消えてしまったが工事の前にもう一度ゆっくり歩いてみたかった。幸いなことに林とたんぼは残っているようだから近いうちに歩いてみようと思う。あの木漏れ日のきらめきは残っているだろうか。

 「CHILD」という名には子供のように“無垢”あるいは“まっさら”でありたいという想いを込めた。これらの言葉はどちらかというと子供よりは赤ちゃんのイメージの方が強いが、その頃すでにイギリスに「THE BABYS」という洒落た名を持つバンドがあった。また、「CHILDREN」という変則的な複数形になるというのも魅力のひとつだった。更に当時憧れていたバンド「CAROL」の影響も大きかった。「CHILD」と「CAROL」は文字数はいっしょで頭文字は同じ「C」だ。(※キャロルは西洋人の名前。えーちゃん(矢沢永吉)はアメリカ人の女の子の名前を片っ端から書き出してその中から響きのいい「CAROL」を選んだと本で読んだことがある。)

 27歳で2度目のデビューをしたときのバンドが「NUDE」、その次が「TAO」、そして現在の「BARAKA」と続くのだが「LIPS」「CHILD」「NUDE」「TAO」「BARAKA」…とぼくが命名したバンドを並べてみると関連性がなくもない。(※19歳の時に参加し、後にデビューを飾ったバンド「L♂♀VE」(ラブ)の名付け親はぼくではないのでここには挙げなかった。「L♂♀VE」の話は今後ゆっくりと…)少しは洗練されてきたのかなという気はするが目指すところというか芯はぶれていないように思う。バンドは、そして音楽を作る姿勢はこうありたいという理想は変わっていないのかもしれない。

 「CHILD」は土日に練習を重ねてレパートリーをどんどん増やしていった。バンドの方向性やコンセプトは練習やライブを重ねながら定まってくるものだ。ぼくたちも少しずつだが目指す方向を固めていった。ここでは「LIPS」での経験が活きた。テツロウとぼくはライブで観客がどんな曲に反応していたのかをはっきり覚えていた。とにかく観客を乗せてしまおう、躍らせてしまおうと考えたのだ。「CHILD」の音楽性は初期のビートルズやキャロルに絞られた。ぼくたちは彼らがカヴァーしていたチャック・ベリーやリトル・リチャードを、そしてジョン・レノンやポール・マッカートニーのアイドルだったバディー・ホリーやファッツ・ドミノを聴いた。いわゆる“ロックンロール”だ。ぼくたちに迷いはなかった。どんな分野でも目指すところがはっきりしていると成長は早い。初ライブを迎える7月にはかなりのサウンドに仕上がっていた。ぼくがバンドを始める直接のきっかけとなったバンドは「MOTHER」だ。「MOTHER」に「CHILD」…少々でき過ぎだったかもしれない。(つづく)

(C)2008 SHINICHI ICHIKAWA
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