<八の葉>
1/f ゆらぎ

 生まれて最初に触れた音楽、僕の場合もほとんどの人と同じように子守唄だったはずだ。胎内にいる時から音は聞こえているというからその前に母の鼻歌ぐらいは聞いていたかもしれない。情操教育などというものは僕が生まれた60年代初頭の日本ではたぶんまだ紹介されていなかっただろうから、モーツァルトの交響曲20番や21番を聴いていたという覚えもないし、親からそんな話を聞いたこともない。モーツァルトの(主に)交響曲には人間をリラックスさせる力があるらしい。科学的には“1/f ゆらぎ”(f 分の1ゆらぎ)がある、ということだそうだ。1/f ゆらぎとは何なのか…前から気になっていたので調べてみた。要約すると次のように説明してあった。『電気的導体に電流を流すとその抵抗値が一定ではなく不安定に揺らいでいることが70年ほど前に発見された。そのパワースペクトルが周波数 f (frequency)に反比例することから“1/f ゆらぎ”と名付けられた。その発生機構はいまだに分かっていない。ゆらぎ自体を定義するとしたら、予測のできない空間的、時間的変化や動きと言える。予測は規則性があるからこそできるのだから、予測できないゆらぎは言い換えるならものの空間的、時間的変化や動きが部分的に不規則な様子とも言える。音楽の場合だとラジオの「ザー」というノイズとメトロノームの規則正しい音とのちょうど中間にあたり、不規則さと規則正しさがちょうどいい具合に調和している状態をいう。』 これではチンプンカンプンだ。(うわっ、すごい言葉。自分でも久しぶりに使ってびっくりした。)もう少し具体的な例をあげよう。1/f ゆらぎは自然界や身の回りにたくさんある。ろうそくの炎に…鳥のさえずりに…そよ風に…小川のせせらぎに…波打ち際に…。これらは紛れもなく僕たちを心地よくさせてくれる。“心地よく”とか“リラックス”どころではない。“この世界と同化させてくれる”とか“宇宙に溶けさせてくれる”とか言わないと説明できないような感覚を与えてくれる。

 心拍の間隔も1/f ゆらぎだ。僕らは生命として誕生した瞬間から胎内で母の鼓動を聞いている。(※1 バスドラやベースの音だったか。)血液の流れる音だって川の激しい流れや雨がトタンにあたる音に似てはいないか。(※2 ディストーション・ギターの音か。)つまり胎内は常に1/f ゆらぎの状態にあるということだ。それどころか僕らはそれぞれ体内に1/f ゆらぎのリズムを持っているということになる。これは重要だ。ノイズとメトロノームの中間かどうかは分からないけれどジャズやロック、その他あらゆる音楽にも1/f ゆらぎは必ずある。ここで言っておきたいことがある。最近は(とはいっても20年以上は前になるか)人間の代わりに機械が音楽を奏でることが増えてきた。自動ピアノや携帯電話の着メロがそうだ。これらの音にはこのゆらぎはない。人間が演奏した音楽にのみ1/f ゆらぎが存在するということだ。ドラムマシンやコンピューターでリズムやメロディーを打ち込んでレコーディングした音はまったく似て非なるものである。厳密に言うと同じリズムだったとしても人間が演奏した場合はAメロとBメロ、更にサビでは微妙に音の大きさやテンポが変わってくるものなのだ。機械の正確なリズムがいいのか人間のある意味曖昧なリズムがいいのか、これはあくまでも好みの問題であって、意図的に1/f ゆらぎを排除したりフレーズを機械的にしたりするテクノのような音楽もある。クラシックの場合も大人数によるオーケストラ演奏は音の微妙なずれを楽しむものでもあるらしい。ここでも1/f ゆらぎが発生して心地よい眠りに誘(いざな)われることもある。

 太陽や星の動きに、そして宇宙全体の動きにも1/f ゆらぎがあることが分かっている。生体のニューロン(神経細胞)は生体信号として電気パルス(電気信号)を発射しているが、その発射間隔がやはり1/f ゆらぎをしていることも最近になって分かった。最大の世界である宇宙から最小の世界である細胞までゆらゆらと心地よいリズムで動いているというのに、人間だけがこのリズムをしばし忘れていたような気がする。“心に1/f ゆらぎを!”を合言葉に(ははははは)、いやテーマに(ははははは)、ではなくて、このゆらぎに漂う時間をもう少しだけ持ってもいいかなと思う。

※1 バスドラ…Bass Drumといってドラムセットの中で1番大きな太鼓。横たえて固定しビーターの付いたペダルを踏んで音を出す。

※2 ディストーション・ギター…生音を歪ませた音のこと。音圧が上がり攻撃的な印象を与える。ロック的な音である。

(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
----------------------
PAGE TOP
目次
ESSAY TOP
HOME