<八十九の葉>
欧州考(二)

 外国ではいろいろな場面で思いがけず日本を発見することがある。見慣れたメーカーのロゴであったり、漢字で書かれた看板であったり。ぼくたちの眼はこと日本に関するものなら、どんな些細なものにでも一瞬にして反応するようにできているらしい。普段日本で生活しているものにとって外国にいるということは非日常の世界にいるということだ。脳にとってはある意味非常事態とも言える。(※帰国後の急な脱力、深い疲労が脳の非常事態を物語っている。)人間は経験を踏まえて行動する動物だから五感が敏感に日本を感じ取るようになるのは、非日常に際して何かしらの情報を得ようとアンテナの感度がいつも以上に上がるからとも、次に何が起こるか予測も付かない場所に身を置いているという不安がそうさせるからとも言えると思うのだがはたしてどうなのだろう。あるいは単にインプットされている日本に関する情報を認識すべき器官が正確に正直に認識しているだけということなのかもしれないが…。理由はともかくとして、外国にいるとぼくたち日本人の心と体には日本が深く沁み込んでいるのだと痛感せずにはいられない。

 KAWASAKI、HONDA、YAMAHA、SUZUKI、ヨーロッパの街角で目にするオートバイの多くが日本製だ。日本では見たことのない形の大型のバイクもある。色やデザインが新鮮だ。日本製の4輪車(いわゆる車)ももちろん見かけるが比率で勝負したらオートバイに軍配があがるだろう。また、世界中から集まる旅行者が手にしているビデオカメラのほとんどがSONY、PANASONIC、CANON等の日本製でこちらは絶対的、圧倒的だ。ロゴを見るたびに誇らしく思う。

 もうひとつ忘れてはならないのが楽器だ。特にシンセサイザー等の鍵盤楽器は顕著でどこに行ってもほとんどが日本製だ。ギタリストやベーシストが使うコンパクト・エフェクターも日本製が完全にワールド・スタンダードになっていて、今回のヨーロッパツアーでも同じステージに立ったすべてのギタリストのエフェクター・ボードの中で日本製のコンパクト・エフェクターが燦然と輝いていた。音作りの上でなくてはならない存在、当たり前の存在となっているのだ。日本の職人と職人技に心から敬意を表したい。


 パリではオルセー美術館に行った。この美術館の建物はもともと鉄道の駅だった。フランス南西部とパリを結ぶ路線を運行していたオルレアン鉄道会社が1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて建設したターミナル駅でホテルも併設されていた。駅舎時代から使われている大時計やガラスと鉄骨でできたアーチ状の屋根が駅の面影を感じさせる。この美術館は原則として2月革命のあった1848年から第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品を展示することになっており、それ以前の作品はセーヌ川を挟んで向かいにあるルーブル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターという明確な役割分担がなされている。(※もちろん例外はあるが。)オルセー美術館は印象派、後期印象派の絵画が多いことで知られている。これらに関しては質も量も間違いなく世界一だろう。日本人にも人気の高い名画が所狭しと並んでいる。印象派の偉大な画家たちの多くが日本の浮世絵に深い関心を寄せ蒐集していたこともよく知られている。浮世絵を通して日本に憧れた画家たちの名をざっとあげてみよう。ゴッホ、モネ、セザンヌ、ロートレック、ゴーギャン、マネ、ルノワール、クールベ、コロー、ホイッスラー、ドガ…そうそうたる面々だ。彼らは浮世絵から強い影響を受けたことを自ら語り、それを実証する作品の数々を残している。背景に浮世絵が描かれているゴッホの「タンギー爺さん」、富獄三十六景に触発されて描いたと言われているセザンヌの「サント・ヴィクトワール山」連作、遠近法を使用せず色彩の単純化やコントラストなどの浮世絵技法を取り入れたマネの「笛を吹く少年」を始めとして浮世絵の影響を受けている作品は多い。日本に憧れていたモネは晩年を過ごしたジヴェルニーの自宅に日本庭園を模した庭まで造っている。ふと思ったのだが、こうして印象派の画家たちの名を並べる作業は、70年代の代表的なロックバンドや好きな映画の名をあげるのに似ている。同じような高揚感が押し寄せてくるからおもしろい。

 オルセー美術館では数億円もするような絵が何枚も何枚もさりげなくまるで小学校の展覧会のように置かれていた。1時間や2時間では到底回りきれない。そこで、今回は5階の作品だけにしぼることにした。それだけでも十分満足、静かな感動に浸ることができた。館内はほとんどの場所でビデオ撮影も写真撮影も許されているから(※フラッシュ撮影は禁止。)老若男女、子供までが絵の前で記念写真を撮ったり大きな声で印象を話し合ったりしながら歩いていた。日本では写真は厳禁、ましてや私語さえもはばかられる。新宿にある美術館にもゴッホの「ひまわり」(※バブル期に50何億円かで落札し話題になった。)セザンヌの「りんごとナプキン」、ゴーギャンの「アリスカンの並木道、アルル」が常設展示されているが、この3枚の絵は20センチはありそうな分厚い防弾ガラスで厳重に仕切られ薄暗い部屋の中でやさしい灯りに包まれている。これでは入室した途端にありがたき秘宝に拝謁するかのような心境になってしまう。3枚の絵は本当に見事で文句なく素晴らしいのだが、ちょっとオーバーのような気がしてしまう。オルセー美術館では美術は特別なものではなく日常に溶け込むものだと改めて教えられた。日本でもそれこそ浮世絵の時代はそうだったに違いない。


 最後にもうひとつ。イタリアの小都市、ヴェローナでのことだ。信号待ちをしながら目の前の通りを眺めているとふと数十メートル向こうから歩いてくる大柄な男の左腕が目に入った。Tシャツからのぞく腕には漢字らしき文字が大きく書かれている。ゆっくりと近付いてきた。間違いない、漢字だ。男は筋肉質の腕に浮かぶ刺青を誇らしげに揺らしながら通り過ぎて行った。「……」ありそうだが見たことのない組み合わせの文字が並んでいる。見た瞬間はどんな意味のつもりなんだろうと怪訝に思ったが、次第に見てはいけないものを見たような、あるいは見てしまって申し訳なかったような気分になってしまった。考えると後味が悪くなるような気がして何も見なかったことにしようと思ったのだがやはり忘れられなかった。男の腕には『恐竜の魂』という4文字が浮かんでいた。

(C)2008 SHINICHI ICHIKAWA
---------------------
PAGE TOP
目次
ESSAY TOP
BBS
HOME