<九十二の葉>
欧州考(四)

 ツアー初日、パリからベルギーのトゥルネに列車で移動したぼくたちは、トゥルネ駅でベルギーのプログレ愛好家団体の代表たちの暖かい出迎えを受けた。トゥルネではフランス語が使われている。ベルギーの公用語はオランダ語の一種であるフラマン語、フランス語、ドイツ語の3言語だが、ドイツ語圏は東端のごく一部の地域に限られているため、北部フランデレン地域で使われるフラマン語と南部ワロン地域で使われるフランス語が主要な言語で、ベルギーはこの二つの言語文化圏にほぼ二分されている。国の東側にはドイツがあり、国境も短くはないのだが、歴史的背景からか、ドイツ語はあまり使われてはいないようだ。世界の他の地域の例に漏れず、使われている言語が違う北と南の間では文化的、政治的対立が続いており、時には「言語戦争」と言われるほど深刻化することもあるそうだ。東、西、南、北という方角を表すはずの四つの言葉には、今や「東西に分ける」とか「南北に分かつ」といったように負のイメージも透けて見え、何だかさびしい気もしてくる。方角を司(つかさど)る玄武、朱雀、青龍、白虎の四神は嘆いていることだろう。8月には四神を生み出した中国で北京オリンピックが行われる。(ここでも“東”を使ってしまうが)同じ東アジアの国での大イベントだ。どうか成功してもらいたいと思う。日本も韓国もオリンピックを機に先進国の仲間入りを果たした。先進国になるのがいいことなのか、そうでないのかは別として、“開かれる”という意味においては大きな出来事だ。

 ベルギーの正式名はベルギー王国。19世紀にオランダの前身であるネーデルラント連合王国から独立した比較的若い国だ。欧州連合(EU)の本部がブリュッセルに置かれたこともあって、近年はEUでも存在感を高めている。また、オランダとルクセンブルクの2国とを合わせてベネルクス3国と呼ばれ、鉄道のユーレイルパスでは、このベネルクスで1国とみなされる。「ベ」はベルギーのBe、「ネ」はネーデルランド(オランダ)のNe、「ルクス」はルクセンブルクのLux、それぞれの国名の先頭の文字を連ねてベネルクス(Benelux)と言う。ユーレイルパスというのは欧州諸国で使える鉄道の周遊チケットのことで、ヨーロッパを訪れる旅行者を優遇しようという理由で作られた制度のひとつらしい。このチケットを持っていれば前もって選択した国々の鉄道に指定期間内なら何度でも乗車できるという優れものだ。通過する国の数や期間によって料金は違うが、個別にチケットを買うよりは、はるかにリーズナブルな料金だし、その度に時間を調べたり、切符売り場に並んだりという煩わしさから解放される。ただ、TGV等の超特急を利用する場合は別に指定券が必要となる。飛行機を利用する場合でも同じようなシステムがあるから、今後ヨーロッパに行く予定のある方には参考にしていただきたい。ちなみに日本にも海外からの旅行者向けに用意されたJRの列車・バス乗り放題のパスがあるそうだ。

 トゥルネでは片言の英語ぐらいは通じると思っていたのだが甘かった。まったくと言っていいほど通じない人が意外と多い。英語さえ話せれば世界中どこに行ってもどうにかなる、ある程度は通じる、というのが日本における常識だと思うのだが、これにはおおいに問題ありだ。ベルギーだけではなく、フランスにもイタリアにもスペインにも、英語がまったく通じない人がたくさんいた。フランス人に関しては、英語を“話せない”のではなく“話さない”のだ、という話を聞いたことがある。誇り高いのと同時に自尊心も強く、海を隔ててライバル関係にあったイギリス人が使う英語に対して複雑な思いを抱いているためだそうだ。ありがちな話だとは思うが、少なくとも今回はそのような印象は受けなかった。外国語である英語など話す必要がなかったのか、はなから勉強する気がなかったのか、彼らが英語を苦手とする理由は分からない。だが、ぼくが出会ったフランス人の多くが英語を話せなかったというのは紛れもない事実なのだ。ちょっと、待てよ…。もし、東京の真ん中で、西洋人から中国語か韓国語で話しかけられたとしたら、いったいどれだけの日本人が対応できるだろうか。ヨーロッパとアジアでは事情が違うと言ってしまえばそれまでだが、日本人に英語で話しかけられたフランス人と根本的には同じ状況だと言える。イギリス人以外のヨーロッパ人にしてみれば、勝手に英語が話せると思われても困る、といったところだろう。やはり、先入観やイメージは疑ってみるところから始めなくてはならない。それにしても、南方熊楠(みなかたくまぐす)のように数ヶ月で外国語をマスターしてしまうような人の頭の構造はいったいどのようになっているのだろうか。まったくもってうらやましい。


 ベルギー滞在初日は長旅の疲れもあったが、これから始まるんだという期待や緊張、それに興奮までもが重なってすぐには眠れなかった。ホテルの朝食は7時から10時半まで。食事のできるギリギリ、10時過ぎに集まろうということになった。睡眠不足はあきらかだったが、皆揃いゆっくりと朝食を済ませると時間は10時45分になっていた。各自部屋に戻り、着替えると散策に出た。4月中旬だといういうのにまだ肌寒かったが、太陽の下(もと)、浮かび上がる街並みは新鮮で街全体が神々しい。いくら歩いても飽きることなどなかった。午後3時を過ぎたあたりから急にお腹が減ってきた。何か食べようということになってレストランを探し始めたのだが、それらしき店が見つからない。この時間帯、レストランは例外なく店を閉めているし、カフェもメニューはドリンクとスイーツだけになっている。そこでスーパーやコンビニを探したのだが、どこを歩いてもありそうな雰囲気がしてこない。喉が渇こうが街には販売機の1台さえないのだ。しばらく探し回ってから、ぼくたちはやっと気付いた。

 この街では食事の時間帯がはっきりしていて、その時間帯以外には食事をしない。もし、仕事等のスケジュールの都合で食事の時間帯がずれそうな場合は、それを見越して事前に買い出しをしておかなければならないのだ。24時間好きな時に食事ができるという生活をしているぼくたちには想像もつかないことだった。日本だったら食べたい物を好きな時に食べることができる。真夜中だろうが、早朝だろうが、開いている店はたくさんある。食べ物に関してだけではない。ドン・キホーテ等のディスカウントショップを始め最近では西友やイオン等のスーパーでも24時間オープンの店が増えている。日本は世界屈指の便利大国、いや、超便利大国なのだ。

 結局、ぼくたちは中途半端な時間での食事をあきらめ夕食の時間を待つことにした。ホテルに帰ってフロントで聞いてみると近くにスーパーがあることも分かり、食事に関しては次の日から何の問題もなく対処することができた。だが、この一件は日本とはまったく違う環境にいるのだと自覚していたつもりが、まったく対応できていなかった、ということを気付かせてくれた。


 一度吸ってしまった甘い汁は忘れられるものではない。日本に戻ったその瞬間からぼくは再び便利さにどっぷりと浸った生活を続けている。慣れというのは本当に恐ろしいものだ。便利さに囲まれて生活しているとそれが当たり前になってしまうし、もっと便利に、もっともっと便利にと、追求が止むことはない。環境にやさしくというエコの理念を無視して、それが豊かさであるかのような勘違いだけはしてはならないと思う。トゥルネの人々にとっては食事の時間に食事をするのが当たり前のことなのだ。食べ物を探してあたふたしていたぼくたちを見て、きっと彼らはいぶかしんだことだろう。「あの日本人たちはいったい何を騒いでいるんだ?」

(C)2008 SHINICHI ICHIKAWA
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