大黒屋は狭い。狭いが、店内にはゆったりとした空気が流れている。ほど良い大きさのテーブルと椅子が機能的に置かれ、その他の調度品から壁に掛かる書画まで、店内は何となく統一されている。一見、個性がないように見えるが、オレにはこの何となく控えめな感じが心地いい。確かに最近はお洒落な店が増えた。だが、パッと見はいいが、狙い過ぎて失敗している店や、これ見よがしにセンスを押し売りしている店はいただけない。オレは自分流の主張に凝り固まった人間ではないし、特にセンスがいいとも思えないが、そんなオレにでも佇まいの良し悪しぐらいは何となく見分けが付くものだ。ちょっと照れくさいが、今ほどオレたちの美意識が試される時代はないと思う。オレの仕事である映画などは特にそうだ。カメラがどんなに素晴らしい性能を持ったとしても、スクリーンに命が吹き込まれるか否かは撮り手次第、監督次第ということになる。フィルムに収められた“美”の中にどんな哲学が、どんな信念が反映されているか、そこが問題なんだ。遙か万葉の時代から受け継がれてきたオレたち日本人と美との付き合い方を、いや、添い方と言ってもいい。そんな本来のありようを見直すのは今しかない。これは、美しい国に住むオレたちの使命でもある。


  できるならば、心落ち着く空間で飯を食いたいと思う。「いや、大事なのは量と値段だ!」 と若者は言うだろう。それも分かる。オレにも若者だったころがあるからな。だが、時間とはそういうものだ。いつの間にか周りが見えてくるようになる。誰にとっても時間は平等に過ぎる。安心しろ。歳を取るのも悪くはないぞ。大黒屋はそんなオレたちにとっては打ってつけの店だ。仲間と来ても、ひとりで訪れても居心地がいい。席に着くと店員が一回り大きい湯飲みになみなみと注がれた番茶を持ってきてくれる。これがまたいい。この熱い飲み物が料理を待つ時間を彩ってくれる。熱い番茶をずずず〜っとすすり、ふう〜と力を抜きながら顔を上げれば調理場が窺える。調理場はいつも活気であふれている。こうでなきゃね。味の良さも推して知るべしってもんだ。


  流れているのはジャズだ。静かだが、しっかりと聞こえてくる。ビル・エバンスやセロニアス・モンクのピアノが中心だ。有線放送のジャズチャンネルを流しているのではないことはすぐに分かる。こんなにモンクばかりが続けて流れるはずがない。主(あるじ)の趣味で好きなCDを流しているのだろう。スピーカーにも気を使っているのが分かる。小さなスピーカー特有の安っぽいイコライザーをかけた音 (※一般にドンシャリと言われる音のこと、高音と低音を強調している) は感じられない。それどころか、グランドピアノの艶っぽさまでが表現されている。イコライザーを調整していたとしても低音をちょっとカットしたくらいだろう。CDの音を忠実に再現できるようなPAシステムを導入しているとしか思えない。値段はけっして安くはない。客のことを考えて、もちろん自分の趣味もあるのだろうが、BGMにお金をかけてくれるのはうれしい。


  ふくよかなピアノの音は脳をリラックスさせるせいか、食い物をより美味くしてくれるようだ。ショパンやモーツァルトのようなクラシックのピアノ曲もいいが、ジャズのピアノは頭を更に柔らかくしてくれる。オレの場合は、本を読むときや、そう、今この瞬間のようにセーラー万年筆極太を走らせているときにジャズのピアノ曲を聴く。数枚のCDを繰り返し聴いている。ジャズを聴き始めたのはたかだか5年ぐらい前の話だ。オレにとっては未だに新発見の連続だ。45歳を過ぎてから新しい趣味を持てるのは幸せだ。オレは10代のころからロック一辺倒だった。ジャズが嫌いだった訳ではない。正直に言うと“聴けなかった”のだ。20歳になりたてのある日、オレは思い立ってジャズのレコードを買うことにした。ジャズがどんな音楽なのか興味があったからだ。店の人に 「ジャズで一番有名なレコードはどれですか」 と聞いて、手に入れたのがジョン・コルトレーンの 「至上の愛」 というアルバムだった。

  六畳一間の部屋で、オレはひとりヘッドホンをして針を落とした。流れてきたのは心の底を刺激するかのような音だった。普段は表に出てこない感情までが揺り動かされるような気がした。まだ半分ガキだったオレは怖くなってしまった。未知の自分に突然対面させられたかのような恐怖に包まれてしまったのだ。当時のオレにはジャズという音楽は危険だった。オレはアルバムを最後まで聴き通すことができなかった。それ以来25年間、オレの中でジャズは封印されていた。今考えると、コルトレーンだからこその衝撃だった。馴染みやすいジャズを最初に聴いていたらと思わぬではないが、やはり、コルトレーンでよかったのだと思う。弱冠20歳にして魂を震わすほどの名プレーヤーの音を正面から受け止めたんだ。後悔はしていない。今では心を揺さぶられるのが心地いい。コルトレーンの叫びをも受け入れられるようになったらしい。オレも大人になったもんだ。それにしても、10代や20代でジャズに夢中になれる人たちは本当にすごい。尊敬に値する。


  またまた話が逸れてしまったが、この回顧録ではそれが許されている。オレはとにかく頭に浮かんだことを自由に書くと宣言した。それが、タドコロ、そして、「映画はおともだち」 編集部との約束だ。それにしても映画ファンがこれを読んだらどう思うのだろうか。今更心配してもしょうがないな。突き進むしかない。これがオレの流儀だ。さて、本題に戻ろう…。まあ、番茶にしろ、ジャズにしろ、店主の何気ない気遣いが、姿勢が伝わってくる。オレの愛する大黒屋とはそういう店だ。これぞ、正(まさ)しくもてなしの心!痛み入る。


  大黒屋では、豚カツ定食と焼き鯖定食が二枚看板だ。大抵の客はどちらかを注文する。まずは豚カツ定食の紹介だ。注文してから15分ほどすると湯気が舞う熱々の豚カツ定食が運ばれてくる。さあ、食そう!カリッと揚がった厚めのロースカツにたっぷりと特製中濃ソースをかける。肉の軟らかくサクサクッとした歯触りがたまらない。衣に染みたソースは野菜の芳醇な香りを漂わせ鼻腔を刺激してくる。シャキシャキッと新鮮なキャベツは皿からあふれそうなほどたっぷりと盛りつけられている。このキャベツの千切りが次の一切れを誘(いざな)ってくれるんだなあ。思い出しただけで唾があふれてくる。シャキシャキッ、サクサクッ、ムホフムホフッ、コフグコフグッ…。ああ…もう言葉はいらない。今すぐにでも大黒屋にトンで行きたい…!あっ…やってしまった。もう、つまらないシャレは止めようと思っていたんだが…。…ん?何だって?これはおもしろい?よかった!ならば良しとして次へと行かせていただこう。とにかく、主役である豚カツはもちろんのこと、キャペツの千切り、特製ソース、甘さが際立つコシヒカリ、それに野菜たっぷりの味噌汁、漬物に至るまですべてのバランスが完璧なんだ。そうだ!ツアーだ、ツアーを組もう。オレは募集したい!大黒屋定食ツアーに行きたい人、この指と〜まれ! (つづく)

Copyright(C)2009 SHINICHI ICHIKAWA
Home Page Top Essay Top